2015年06月11日

出会い〜病院の待合室から沈黙のトラックへ

つづき。

アラスカでは外で担架(ストレッチャー)をガラガラガラっと転がすことができないから、ヘリポートから病院入口までっていう超超短距離でも救急車に乗るんだってことを初めて知りました。そして初めて乗ったよ、救急車の助手席。今考えたら、私は乗る必要なかったんじゃないのだろうか。目の前が入口なんだから歩いて行けばよかった。

ERに運び込まれるころには、彼女の意識も回復してきて、最悪の状態は回避できそうだったけど、あれしてこれして、ICUに移動して、アンカレジのマサさんにすがるように電話をして保険会社に電話をして(マサさんと保険会社が神様に思えた)、とにかくバタバタバタバタバタバタしてる間に、ベルマから話を聞いたキース爺さんが、病院に来てくれていた。「Hello, Naoko-san」て、いつも通りのキースになんだか心底救われた。その隣には、なんとなく日本人な女性が座ってて。バタバタしてたから挨拶もできずに、あ、誰かいるなくらいにしか思ってなかった。それから1-2時間、ようやく状況が落ち着いて、もう私たちは帰りましょうってなりました。

辺りはもう真っ暗で、キースのピックアップトラックに運転するキース・彼女・ワタシって並んで座った。
私はもう、へとへとで。くたくたのへとへとで。彼女と何か話さなくちゃ、自己紹介とかしなくちゃって思ってたけど、しゃべる元気が全くなくて、がたがたと揺れるトラックの中はずーっと沈黙だった。彼女からも、本当だったら色々聞いてきてもいいはずなのに(あんなに待たされてたんだから)、何も聞いてこなかった。私はもう「長い間待たせてしまって本当にすいませんでした」らしきことだけ言って、深い眠りにレッツーゴーだった気がする。

その後、彼女はケイコさんという名前で、関西出身のNY在住、今は仕事を辞めてどーーーんとアメリカ中を一人旅している最中だってことを知った。アラスカ鉄道でフェアバンクス入りして、駅に迎えに来たキース爺さんに「ちょっと病院寄っていい?」とあの場に連れてこられたことも。

怪我をしたメンバーがICUで様子見だけどもう大丈夫ってなったから、残りのツアーメンバーと一緒にケイコさんもグループに無理やり引きづりこんで、残りの1.5日間を楽しく楽しく楽しく過ごした。
そして帰国日、ケイコさんとキースロッジでバイバイしてから早9年。

9年の間、ケイコさんとはNYで3回、日本で5回、再会を果たしています。つい先週末も。この9年、何か、大きな転機がやってきたときには必ず連絡をとってきた。まさかこんなにずーーーーっと続くとは、と、彼女は思ってるかもしれないけど、私はアラスカでバイバイする時からなんとなく、この人には私から連絡し続けるだろうなーって思ってた。NYを訪れるお友だちにもたくさんケイコさん紹介できた。私もNY行くたび彼女のアパートメントに転がり込んでた。会うたびに、あの特殊すぎる出会い方について必ず話してゲラゲラ笑う(結果何事もなかったからゲラゲラ笑えるんだけどね)。キースが全然たいしたことないふうに言ってたのに話と違うからびっくりしてひたすら待合室で座っていたことも、あの帰り道、トラックの中で彼女から話しかけてこなかったのは、絶対に状況を聞くようなことをしてはいけないと思ったからなんだってことも、その心遣いに私は気が付いていたことも、ロッジでオーロラ当番のリストに自分の名前が入ってて「はい?」って思ったことも、会うと必ずその話になる。

衝撃的な出会い方のインパクトも一因だろうけど、頻繁に連絡取り合うわけじゃないのに、たぶん一生ずっと切れないだろうなって思えるこの関係は、人柄と考え方と生き方と似てるところもぜんぜん似てないところも、なんだかお互い全てしっくりくるから、なんだと思う。確実にわたしの人生を面白くしてくれてる存在だなぁ、と。あの時、待合室で意味も分からず座ってくれててありがとう、と心から言いたい。

そんな彼女は、引き上げてきたはずのNYにやはりもう一度戻ることにしたそうです。兵庫にいようがマンハッタンにいようが距離は全然関係ないけどね。いや、また会いに行く理由でNYへ行けるから嬉しいかも。
日本から応援しています。
posted by トミィ at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | Alaska | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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